kahsuke5555のブログ

本の感想について書いています。

(1冊目 )フィッツジェラルド 村上春樹訳「グレート・ギャッビー」中央公論社

一番最初に手をつけたのが、5年半前。その間手をつけて挫折した事4回。別につまらなかった訳ではない。途中で読まなきゃいけない本が出てきたり、何となくフェードアウトしたりしてしまったからだ。

むしろすごく面白い。そうでなければ4回も挫折して再度読み直そうとは思わない。文章も流れるようでとても美しい。


これは、翻訳をしている村上春樹さんの力も大きいと思う。村上さんにとってこの作品はとても思いいれのある作品だそうだ。村上さんは35才の時に60才になったら、この作品を翻訳しようと決心したらしい。

フィッツジェラルドがこの作品を書いたのが、30過ぎの頃。もしかしたら同世代のうちに翻訳したい、という誘惑はあったのかもしれない。それでも村上さんは自分の翻訳の力がつききるまでそれを待った。結果的には予定よりも早く翻訳に着手する事になるのだが、それでも普通の人はなかなかこうはいかない。凄いことだ。

気になったフレーズをノートに書き写していると、文章が流れるようなのは句読点一つまで考え抜かれて書かれたからなんだろうな、という事がとてもよく分かる。ダテに、延べ20年以上掛けて翻訳していない。


それでも、自分は読了するまでに、のべ5年4回挫折してしまっている。何故なのだろうかと考えていると、一見するとギャッビーが非の打ち所のなく、毎日バーティーに明け暮れる大金持ちだから。

自分とかけ離れた人物にはどうしても共感できないもの。共感できない作品を読む優先順位はどうしても後ろに下がってしまうものです。


ただ、もし5年半前の自分に声を懸けれるなら、こういってやりたい。

「そこでやめたら、絶対後悔するぞ!」

そう、私は激しく後悔している。毎日パーリーナイトしているギャッビーの姿を見て、語り手のキャラウェイ君ともども、読者は彼に対して二つの疑問を抱く。

「彼は何者で、何のためにこんな事をやっているの?」

それが、少しずつ見え始めた時から、この物語は抜群に面白くなる。そして、もうそれからは本を読む手は止まらなくなる。


フイッツジェラルドは、この作品のギャッビーのように、奥さんと華やかな生活を送ったらしい。写真を見ると甘いマスクをしているし、メディアも映画産業も、それほどは発達していない時代。今の作家とは考えられないくらいスター扱いされたのだろう。

その中で彼は有名になりちやほやしてもらえる反面、彼の人間性ではなく、富や名声に群がってくることに空しさを感じていたのではないだろうか。世の中の表と裏、本音と建前を知り尽くしていないと書けない話しだと思う。

アルコール依存性になり、身体を壊し40ちょっとで亡くなったのは、いろいろなものが見えすぎてしまった男への代償かもしれない。


こうやって、とりとめもないことを考えていると、村上さんが『グレートギャッビー』の翻訳を60才まで待ったのも、健康マラソンおじさんになったのも、憧れたフイッツジェラルドの若すぎる死への反動のような気もしてくる。

さすがに、それは考えすぎか?


走ること、それによって人生と向かい合って来たことについて書かれてたエッセイ。村上さんのエッセイは、一歩一歩地に足をつけて粘り強く考えて書かれているところが好きです。