kahsuke5555のブログ

本の感想について書いています。

(10冊目)伊藤計劃「虐殺器官」ハヤカワ文庫。

僕がこの本に出会ったのは、二つの幸運な偶然が重なった事による。


一つは、池袋のジュンク堂瀬名秀明さんのトークショーに行った時。たまたまその場にデビュー直前の円城塔さんがいて、瀬名さんが円城さんのことを紹介してくれた事。

それがきっかけで円城さんのデビュー作「Self Reference Engine」を読む。ムチャクチャ面白いと感じた僕は、サイン欲しさと話聞きたさに三省堂でやる円城さんのトークショーに行くことを即決する。その時の円城さんの対談相手だったが、たまたま同じくデビュー間もない伊藤計劃さんだったのだ。

それが2007年の夏ごろの事。これが僕の二つ目のそして一番の大きな幸運だ。

伊藤さんは、それから僅か1年にも満たない2008年の3月に亡くなってしまう。その時に長年癌で闘病されていた事を始めて知った僕は、自分のおめでたさを恥じると同時に、少なくないショックを受けた。それでも、生前の伊藤計劃に間に合ったという事は、僕の読書遍歴の誇りであり、自慢でもある。


もう10数年前の事なので、随分と記憶が薄れてしまっているが、トークショーの時に「いかに効率よく人を殺すか」という話をされていた事はなぜだか鮮明に覚えている。

その時は「随分と命を粗末に考える人だなあ」とさえ思った。けど、訃報に触れて、改めて「虐殺器官」を読み返してみると、伊藤さんが他人の死だけでなく、自分の死さえも相対化し、客観的に見ていたんだという事に気づかされる。ここまで相対的に死を描いた作品は、純文学も含めてほとんどないんじゃないだろうか。


この小説はタイトルに「虐殺」とついているように、「死」を描いた物語という一面がある。


紛争地域でテロや内乱が収束したかと思った矢先、突然、大規模な内乱や虐殺が発生する事態が多発する。そこには決まってちらつくのは、ジョン=ポールという一人の男の陰。

米軍のシェパード大尉は、それらの殺戮を阻止するため、ジョン暗殺の命令を受け、彼の足取りを追うために紛争地域へと赴くことになる。


そこで描かれている「死」は、どこまでも容赦がない。それだけでなく過剰に装飾される事なく淡々としている。それだけにとてもリアルだ。

人間は平等であるという建前がある以上、本来人の「命」もそうであるはずだ。しかし、完全武装の米軍と紛争地域の少年少女たちとの間には大きな格差が存在する。

それによって、「正義」の名のもとに「命」さえも格差がつけられていく。そんな世界の現実を暴きたてる。その筆致も相対的なので淡々としているが、容赦はない。


この本が伊藤さんの死後も多くの人に読まれ続けているのは、「死」に対する深い考察を根底に持ちながら、エンターテインメント小説としても優れている事が大きい。

ファンであると公言していた、小島秀夫さんの世界観を折り込みながら、ディティールが細かく積み上げられており、それが戦闘シーンに代表される臨場感に溢れたリアルな描写につながっている。


最初に読んだときは「本物そっくりのゲーム」のような小説だなと感じた。それが十数年経って今読み返すと、「ゲーム」のはずだった小説の世界がどんどんと、現実に近づいているかのようだ。

かつては「フェアプレイ」がポリシーだったはずなのに、それと対極の「暗殺」を紛争解決の手段に用いるようになったアメリカ。戦場に持ち込まれるようになった費用対効果の考え方。それによって幅を効かせるようになる、民間の軍事会社……。

核兵器使用に対する指導者たちへのハードルは、まだ辛うじてまだ高いままだけど、これだって将来はどうなるか分からない。作品が古びる事がないどころか、段々と今に近づいていく。伊藤さんの世界を見通す目とそれを表現する力には、改めて驚かされる。


それだけに、もしまだ伊藤さんがご存命だとしたら、このコロナ下の世界をどう描くのか。そんな事をどうしても考えてしまう。多分、それは僕達の想像もしない方法と精度で行われるだろう。だから、その疑問自体に、あまり意味がない事は重々わかっているつもりだ。


それでもそんな事を考えさせてしまう。そんな力をこの本が持っている事は、どうやら確かなようだ。