(8冊目)アンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱」新潮社。
某大型書店の店頭で本を探していたら、表紙が気に入ってしまい、思わず買ってしまった。いわゆる「ジャケ買い」というヤツですね。
特にペンギンが何ともいえないいい味を出している。友達として親身になってくれているようにも見えるし、人間ごときの事など全てお見通しだよ、と言っているようにも見える。かと思うと、人類そのものに全く興味がないようにも見えないこともない。
「ペンギンの憂鬱」というタイトルと、この何ともいえない表紙との組み合わせ。読む前からいろんな妄想が広がってしまいワクワクしてしまう。
この本の著者のアンドレイ・クルコフはウクライナを代表する作家。ただこの作品も含めてロシア語で執筆している。この作品の舞台はソビエトが崩壊し混乱の極にあった、1991年以降のキエフ。91年当時もナショナリストから裏切り者扱いされて、かなり微妙な立場に立たされたらしい。
今回のロシアのウクライナ侵略を受けて、ウクライナに関する本をコーナー展開する書店が増えている。そんな中で、この微妙な出自を持つ作家の代表作も地味ながら注目されている。
もしそうでなかったら、ペンギンが何ともいえないいい味を出している、この表紙の本とも一生出会うことは無かったのかもしれない。本との出会いは、人との出会いと同じくらい奇なものである。
このペンギンの名は「ミーシャ」。この作品の主人公のヴィクトルが飼っている皇帝ペンギンだ。キエフの動物園が餌不足で飼えなくなったのを、彼が引き取って同居人になった。
ヴィクトルは売れない作家だ。けど、作家なのに長編小説を書く才能と強い意志は持ち合わせてない。おまけに彼女には逃げられ、養える成算もないのにペンギンを飼ってしまう。客観的に見るとかなりのダメ人間だ。
ペンギンの御利益か、そんなヴィクトルに仕事が舞い込む。とある新聞社の生きている著名人の追悼文を書くという仕事だ。
政情が不安定なキエフ。もし不幸があったら、すぐに追悼記事を出せるようにするためのデータベース作り。そう受け取ったヴィクトルは、定期収入を得るためにその依頼を受けることにする。
この設定を見た段階で、ヤバい臭いがプンプンしてくる。しかし他人の不幸は蜜の味。読者にとっては、逆にわくわくする展開だ。案の定、ヴィクトルの周囲には不穏な出来事が次々と起こる。
けど、それでも緊迫して抜き差しならない展開にはなかなかならない。それは、ちょっと村上春樹にも近い、淡々とした文体による所もある。
けどそれ以上に、緊張が高まろうとする時に決まって登場する、ミーシャの存在が大きい。その姿は、実際にクルコフがペンギンを買ってるんじゃないの、って思ってしまう位真に迫っているし、そしてとにかく可愛い!
読書の僕でさえ、ミーシャが登場すると、ヴィクトルの周囲で起こっている出来事よりも、意識がペンギンにいってしまい、万事「まっ、いいか」という気分になってしまう。
可愛いだけでなく、ミーシャが日常と非日常、現実と非現実とのスイッチのような存在になっている。この辺のクルコフの筆致は実に巧みだ。
しかし、ミーシャはあくまで皇帝ペンギン。その存在で癒される事はあっても、目の前の問題は解決されず、先送りされ、積み重なっていく。むしろ間接的にではあるが、厄介事が増えてしまうくらいだ。そう考えると、ミーシャが可愛ければ、可愛いほど、問題の解決からは遠ざかる。
おそらく著者は、この構造を理解した上でこの作品を描いている。見た目によらず、この作品と著者は随分と人が悪い。そして、それ故に大変に自分好みの1冊だ。