kahsuke5555のブログ

本の感想について書いています。

(5冊目)いとうせいこう「想像ラジオ」河出文庫。

この本が最初に出たのが、2013年。それまで、いとうさんは16年間小説を書くことが出来なかった。

物語は普通「AなのでB」という因果関係の繰り返しで出来ている。その「ので」が書けなくなってしまったそうだ。


そこまで来ると、日常生活にも影響があったかと思われるが、少しだけ分かるような気もする。

本来「A」と「B」は別のものである事がほとんどだ。それを「ので」で繋いで物語を作るという事は、そこに「作為」が生じるという事でもある。

それだけではない。読者という第3者に伝えるために、時にはその「ので」を分かりやすくしたり、説明したりしなければならなくないケースも多い。

僕みたいな人間でさえ、インプロをやっている時に、その嘘くささに耐えられなくなり、身体が次のセリフを発するのを拒絶する時がある。

一度はまりこむと、その穴は結構深い。


それでも、16年ぶりにこの作品を書くことができたのは、技術や精神的な問題がクリアになった事もあるだろう。けど、それ以上に2011年3月11日の東日本大震災を経験した事が大きい。


この小説に登場する舞台は、東日本大震災で被災した海沿いの街。深夜2時46分、木のてっぺんに引っ掛かっているという、DJアークがパーソナリティをつとめるラジオ番組がオンエアされる。

ただ、ラジオ番組はAMやFMといった既存の電波で流れているのではない。電波として使われているのは、その人の「想像力」。その中でだけラジオは聴こえるのだ。


小説の内容はもちろんだが、DJアークのプレイリストがとにかく素晴らしい。読みながらでも、読み終わった後でもいいので、是非聴いてみてもらいたいです。

・ザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」
ブームタウン・ラッツ「哀愁のマンディ」
フランク・シナトラ「私を野球につれてって」
・ブラッド・スウェット&ティアーズ「ソー・マッチ・ラブ」
アントニオ・カルロス・ジョビン「三月の水」
マイケル・フランクス「アバンダンド・ガーデン」
コリーヌ・ベイリー・レイ「あの日の海」
モーツアルト「レクイエム」冒頭 合唱~ソプラノ独唱
松崎しげる愛のメモリー
ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」


小説の中で描かれている音楽が素晴らしいのは、いとうさん自身もDJであり、かつミュージシャンで、「聞く人」であるという事が大きい。


この小説は五章から成り立っている。1、3、5章はDJアークのラジオ番組。その真ん中、2章は作家Sが仲間達と復興支援のボランティアに向かう車中でのやり取り。4章はSと女性との現実とも夢ともつかない場所での会話が挟まれている。


解説の中で星野智幸さんは、

『この小説がしきりに促すのは、死んだ人のことに囚われていていいんだよ、忘れられずに思い返し続けるのでいいんだよ、そのまま一緒に生きればいいのだから、ということです。』

と語っている。これは4章に描かれている事だ。


『さらに、当事者じゃないからといって、やましく思うことはない、デリカシーを持ちながら、自分とは遠いはずの死者のことを思い続けてかまわない、とささやきかけてきます』

こちらは小説の2章に当たる部分だ。デリカシーを持つために必要な事。それが「死者も含めた当事者の言葉に耳を傾ける」事であり、そのために必要なものが「想像力」だ。


そこで語られているのは、東日本大震災という10年以上前に起こった未曾有の出来ごとについてだけではない。

生者は死者とどう向かい合っていくのか?そんな普遍的な問題を考えるための、大事な手懸りも教えてくれる。

それが、自分は決して「孤独」ではないという希望にもなり、「歴史」の中に生きているという確信にもなる。


藤原新也さんの「メメント・モリ」が最初に刊行されたのが、1983年。その頃以上に、僕達の周りはまがい物の死が横溢し、本物の死の臭いが感じられなくなってしまった。

そんな今だからこそ、「聞く人」である、いとうせいこうさんの書いたこの小説は、もっとたくさんの人に読まれるべきだろうと思う。